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スクールを通しての共同体の祝福


私は、小学校5年生から中学3年までの間、父の仕事の関係でアメリカに引っ越し暮らしました。アメリカの生活は、非常に辛いものでした。英語が話せないことで、周りからは煙たがられ、何するにも一人ぼっちでした。休み時間や給食の時間は全学年が一斉に集まる中で、一人でいることをさらされている毎日に、私がいなくても誰も気にしない、自分が空気のような存在に思え、消えてしまいたいと、死ぬことばかり考えていた時期もありました。

 その苦しい中を乗り越えられたのも、家族の支えと主の御言葉があったからです。辛かったこの経験を通して、家族を心から尊敬し感謝するようになり、神様と個人的な関係が深まりました。ですので、アメリカでの経験を主が祝福して下さったと思っていました。

 でも今回のエリヤハウスで示されたことは、どんなに祝福へと変わった苦しみも、痛みとして残っていて、自分と神さまとの関係で解決するだけでなく、信頼できる共同体の中で分かち合い祈って貰うことによりいやされていくということです。

私は共同体への憧れが強く、深い交わりを心から願っている反面、「私の存在は喜ばれない」「神様と家族以外は信用できない」といったアメリカにいた時にたてた誓いが今でも心にあったため、理解してくれる家族がいるから他の人との関係にある程度の距離を置くといった、家族との関係のみで満足させようとする弱さがありました。今回のグループタイムは、共同体の恵みを味わう機会となりました。過去の痛みに一緒に寄り添ってくれる仲間と出会い、共同体の祝福を味わわせて貰えたことを心から感謝しています。

(祈りのミニストリー・トレーニングスクール コースⅠA 受講生 東京都)

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