祈りのミニストリー・ジャパン IMJ
(Elijahhouse Japan)
心と生き方が変えられ、人との関係の回復、主との関係が深められるために
「エリヤハウス・ジャパン」は、2020年度より、「祈りのミニストリー・ジャパン」IMJと名称が新しくなりました。
祈りのミニストリー・ジャパンの働き
祈りのミニストリー・ジャパン(IMJ)は、キリストの体である教会、クリスチャンに祈りのミニストリー、教え、訓練をとおして、
心と生き方が変えられて、主が創られた本来の自分を取り戻し、与えられた賜物と人生を豊かに生きるために、
聖化と成熟(内なる人の変革)を目指す働きです。
[祈りのミニストリー・ジャパンの目的]
◇ 救われた一人一人の「内なる人」が変革され、キリストに似る者とされていくことを目指す。
◇ みことばの真理と祈りのミニストリーを通して家族をはじめとする人間関係の回復と
神とのさらに親密な関係を持つことを目指す。
◇ キリストのからだである教会に仕え、教会を通して今日の社会に
いやしと変革 のわざを現していく。
1974年にアメリカにて設立された Elijah House, Inc. とビジョンを共有し、
祈りのミニストリーを通して教会に仕え、日本において「主の時」に備えるミニストリーです。
[信仰 告白]
エリヤハウス Inc. 共同創設者 ジョン・ローレン・サンフォード著
ポーラと私は聖霊の導きによって、主要な信仰告白 -使徒信条、ニケネ信条、聖アウグスチヌスやウェスレー派の告白など- の正当性を全面的に信じています。それは、主イエス・キリストこそが唯一の父なる神の御子であり、私達の贖いのために十字架で死に、再びよみがえられ、御父の右に座しておられる方であるということです。主は私達が主と御国に仕えるために、聖霊と御霊の賜物をお与えになりました。私達は主の教会の忠実なメンバーとして定期的に礼拝に出席し、牧師と長老達のケアと覆いのもとに身を置くように召されています。私達にとって、教会の使命 - 主がこられる日まで伝道、教え、いやしをしていくこと - こそが最も大切なことです。したがって、永遠に御父と共に生き、交わるように神の子らを整える主からの使命の一端を忠実に担っていくために、エリヤハウスはあらゆる面において正統派に留まります。
エリヤハウスの使命であるマラキ書4:5-6 と マタイ17:11という二つの命令への応答として、書くこと、教え、祈りのミニストリーといやしの器になるように私達は召されています。あらゆる教えといやしは、主イエス・キリストの愛と憐れみの現れであると私達は信じています。教えもいやしも、私達がすることではなく、聖霊の働きによるものです。とりわけ、聖霊によって私達の「器」の内側が聖められるための内面のいやしにおいては、そうなのです。
「内面のいやし」というのは誤った名称であり、私達が選んでつけたものではありません。いやしと言うと、何か壊れたものを修理するようなイメージがありますが、神は私達を、古い着物に新しい継ぎを当てるようには修理されません。神がなさるのは、私達を十字架につけて殺し、主と共に新たによみがえらせることです。このため、祈りのミニストリーをする祈り手として私達は絶えず十字架で「自己」に死ぬことで、人々に決まりきったプログラムを押し付けるのではなく、聖霊によって、神の子の心に主のレッスンを刻んで頂くのです。神は私達の頭に掟を覚えさせるのではなく、心の深い部分に書き込もうとされるのです。
「内面のいやし」は血潮と十字架、そして主イエス・キリストのよみがえりのいのちを心の深い傷と行いに適用することで、神が私達を造られた時に本来与えてくださった自由の中を私達が歩んで行けるようにするものです。カウンセリングと祈りによってこれらを適用しますが、祈りこそが、すべてのミニストリーの土台です。
「内面のいやし」とは要するに、聖化と変革のことです。聖化とは、聖霊によって私達が日々十字架につけられてさらなる「自己」の死を体験し、主にある新しいいのりを受け取っていくことです。変革とは、聖化のプロセスによって、聖霊が私達のあらゆる堕落を栄光へと、弱さを強さへと、荒地を祝福の園へと変えてくださることです。
これはすなわち、サタンには一切勝利がないということです。ローマ8:28は真実です。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」したがって、私達は問題中心的になりません。また、過去を変えようとしません。むしろ、聖霊によって、私達の人生が過去から受けた影響がかえられることで、私達が栄光から栄光へと、主の似姿に変えられていき、人生のあらゆる出来事に感謝できるようになるのです。(第二コリント3:18)
教会全体が整えられて(エペソ4:12)、神の子らが聖化と変革のための主の道具となり、教会が目的と信仰で一致して、主が来られる日に主の花嫁として整えられ、栄光を受けるその時まで、エリヤハウスは「パン種」となるべく召されているのです。